2179.小田急電鉄梅ヶ丘駅



小田急電鉄梅ヶ丘駅は相対式2面2線の高架ホームを有する、
小田原線の駅で、画像は南口である。
1番線は下り小田原方面、2番線は上り新宿方面が使用する。
複々線の区間で、1番線と2番線の間に、
ホームのない通過線が上下2本走っている。

小田急電鉄は戦前の1910年10月1日に、
利光鶴松氏によって創設された、
鬼怒川水力電気の系列会社として、
1923年5月1日に小田原急行鉄道の名で設立された。
利光鶴松氏は東京市内の地下鉄網の東京高速鉄道や、
山手線を外周する東京山手急行電鉄、
城西地区の開発を目的とした渋谷急行電鉄などを次々と企画した。
この中で東京高速鉄道に公布された免許を郊外に延伸する形で、
小田原までの路線を敷設する目的で設立された。
1927年4月1日に小田原線が一部単線で全線開業、
同年10月15日に全線複線で開業した。
1929年4月1日に江ノ島線が全線開業した。
1940年5月1日に帝都電鉄を合併し、
路線を帝都線(現・京王井の頭線)とした。
帝都電鉄は利光鶴松氏によって計画された東京山手急行電鉄が、
山手線の外周に第二山手線を敷設する予定が昭和恐慌によって計画が頓挫され、
その代替として渋谷から吉祥寺間の免許を取得していた城西電気鉄道、
のちに渋谷急行電鉄と改称されたこの会社と合併し、
社名を東京郊外鉄道に改称してこの路線の敷設を優先した。
東京郊外鉄道は社名を帝都電鉄と改称し、
1933年8月1日に渋谷から井の頭公園までが部分開業、
翌年、1934年4月1日に井の頭公園から吉祥寺まで延伸して全通していた。
小田原急行鉄道は1941年3月1日に、
親会社の鬼怒川水力電気に合併して解散し、
鬼怒川水力電気が社名を小田急電鉄に改称して事業を引き継いだ。
電力統制により、電力事業を日本発送電に譲渡し、電力事業から撤退した。
1942年5月1日に陸上交通事業調整法の趣旨に則り、
東京横浜電鉄に京浜電気鉄道とともに吸収合併され、
東京横浜電鉄は東京急行電鉄に改称された。
小田急電鉄は解散、旧・帝都電鉄線の帝都線を井の頭線と改称した。
1944年5月31日には京王電気軌道も東急に合併した。
戦後、1948年6月1日に東京急行から京浜急行とともに分離し、
小田急電鉄として再度設立された。
この時に箱根登山鉄道などを関係会社として加えることを渇望、
その代替として井の頭線が京王の所属となり、
井の頭線の旧路線名を加えて社名を京王帝都電鉄とした。
京王帝都電鉄は設立50周年となる1988年7月1日に、
社名を京王電鉄に改称している。
1950年8月1日には箱根登山鉄道への乗り入れを開始、
箱根登山鉄道は2024年4月1日に小田急箱根グループの再編により、
同路線の運行を小田急箱根に改称され、
社名としての箱根登山鉄道は消滅した。
しかし路線名の箱根登山電車は継続して使用される。

梅ヶ丘に駅が出来たのは1934年4月1日で、
小田原線が一部単線で全線開業した1927年4月1日から7年後である。
開業時は島式1面1線構造で、上下線でホームを共有していた。
利光鶴松氏が計画していた未成線の東京山手急行電鉄を接続させる予定だった。
そのため、同一ホームでの乗り換えを予定しての構造だった。
東京山手急行電鉄は結局企画のまま建設されることはなく、
戦後、1962年に相対式ホームに変更された。
1994年6月12日に高架化、複々線化の工事が開始され、
2002年3月10日に下り線を高架化、
同年12月15日には上り線も高架化される。
2004年には急行線も高架化された。
駅所在地は東京都世田谷区梅丘一丁目である。


画像 dd31453
撮影日時 2025/06/22 9:34:02

小田急梅ヶ丘駅北口。


画像 dd31454
撮影日時 2025/06/22 9:37:09




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